自分をわかってほしい人が多いのに理解者不足の仮説
朝グリーンスムージー続いてる♡
今日はアボガドを入れてみた。クリーミ~
いつも葉っぱばかりで飽きてた。
スムージーのおかげか、睡眠の質がいいからか、頭冴えさえ。
で、すごい考えが湧いてきた今朝。
世の中ってみんな心底で誰かにわかってほしいと思ってるのに、
理解してくれる人が少ないし、お互いにそうし合わない。
不思議。
なんで?
考えたら、仮説が湧いてきた。
人に真の優しさを持って接することって、誰にでもできる事じゃない。
気持ちを汲んでくれる人って少ない。
でもみーんな、誰かにわかってほしいと思ってるのに、
そうし合わない。
誰にでもできる事じゃないし、したくてもできないというのを理由にして人を構うのを避けてるのではないだろうか。
だってみんなまず自分が傷つきたくないと思うから。
結局、適当な返事や、相手を自分と違うと一線引くこと、相手を傷つけることにもなる。でも、そこまで構う余裕が無いのかも。
本当に分かり合おうとするんだったら、
相手に真剣に向き合い、拒絶せずに受け入れることが大切だと思う。
自分を愛して他人を受け入れなければ、それはできないし、自分に余裕も必要。そしてそのままの自分で接することは無防備状態でもある。
拒絶されやすい世の中で、そのままを出して生きることを恐れれば、
ぎすぎすした世の中になる。
わかってもらいたい欲求とは裏腹に、
結局わかり合えないという状況を、自分たちが作りだしているのではないだろうか…
そして、そういう世の中に対して、自分を正当化するために、
仕事や、家庭、日々の忙しさのせいにして、他人を構ってられないと思ってるのかもしれない。
できるできないの能力の問題ではなく、自分と他人に対する愛の問題だと思う。
愛がないっていう批判じゃなくて、
自分への自信の無さ(本当の自分を愛せていないこと)からくる自己防衛が強く、そういう人たちで作り上げられている社会で、分かり合おうとし合わない社会になってるのではないだろうか?
なんとなくそんなことを考えてみた今朝。
私も誰かを拒絶する前に、受け入れたい、知ろうと改めて思った。
他人を受け入れることが、自分を受け入れることになると思う。